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たこやきスピリチャル

ミディアムたこやきちゃんの、やる気が湧いて元気になる「人生を楽しむ」ためのブログ

幸せなのか、幸せにはなれないのか

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幸せなのか、幸せにはなれないのか 

現在進行形で守護霊様と問答しています。

 

自分の立ち居地を客観的にみたり感じてみると、たこやきちゃんはけっこう幸せです。

(昔は、常に不幸せだと思っていた私がこうなるとは、、

本当にまさかの大変身です^^;)

 

けっこう幸せ、の理由は、

このブログでもよく「足るを知る」という

言葉を用いますが、まさにその通りの状態だと

感じているからです。

 

朝起きたらそれまで安心して眠れていたことに

感謝が湧いてきます。

 

カーテンの隙間から差しこむ朝日が、最近は冬が終わって春のやわらかさを感じるように

なってきたので、あらためて四季がある美し国に暮らしていることを実感するし幸せだなぁと感じます。

 

先月ノロウイルスに倒れたときは、普段元気に動いている体に心底”ありがとう”と何遍も思いました。

 

テレビのコマーシャルでNTTドコモの「ポインコ」が出てきた日には、もうその度に「かわいい~~」と連呼し顔はニタニタ、心身で嬉い!楽しい!という思いを堪能していると思います。笑

 

ほんと、しあわせもんですよね^^;

 

一方で、スピリチャル的な見方をすると

人はこの世にいる限りはいつまでたっても

「幸せにはなれない」ものでもあります。

 

なぜなら、私達の本来住まうべき世界は、

今居るこの地上世界ではないからです。

 

私達は、いつかは「あの世」と呼ばれる

本来生活すべき場所である霊界に帰って、

そこでまたやるべきことを果たさなければなりません。

 

しかし、そこでの霊的な成長に必要な事を

しなければいけないのが今の人生です。

 

課題を自らに課し、完全(神)に近づけるよう

切磋琢磨し成長を促しながら今を生きているのが、

肉体を持ったわたしたち地球人というわけです。

 

天は平等、という言葉がありますが、

決して公平ではありません。

 

紛争地帯に生まれた、

生まれつき障害がある、

時代と魂が全く合わない、など

 

平等に命を持っているけれど、

物質的な不公平さがあるのが今いるこの世界なんです。

 

そういう意味でいうと、

私達は完全にはなれない以上、

幸せには基本的にはいつまでたっても

なれないものなのなのです。

 

むしろ、

幸せだ・欲しいものは全て手に入った・もう学ぶことはない、

という「完全」な状態になってしまったらどうなるでしょうか?

 

心の成長が止まってしまいます。

 

必要な経験に飛び込まなくなり、

転んでも挫けなかったときの

奮い立つような気概を味わえなくなり、

傷つくのが面倒だからと愛する事もしなくなります。

 

幸せだ、と実感する事は素晴らしいし、

その瞬間は間違いなく存在する永遠だとも思います。

 

なぜなら、

数年後・数十年後に思い返しても、

幸せだと実感したその瞬間、

その時間は切り取られた絵のように、

その人の心の中に永遠に幸せに残るからです。

 

ただ、その幸せという状態が

未来永劫続くわけではなく、

続いてしまってはいまここ(人間界)に

いる意味がないよ~ということに

なってくるのです。

 

「○○だったら幸せなのに」

「○○さんと結婚できたら幸せになれるのに」

という台詞は巷であふれていて、

割とよく聞くと思います。

 

これは

「現状を否定して、いつまでも

不幸せである自分から抜け出せない状態」

であることを指すかと思いますが

(長年ずっと、ず~っとこういう残念思想の

持ち主だったので、もう自分で自分を

抱きしめてあげたいくらいよくわかる気持ちですw)、

 

見えない存在に聞いたり

アレコレ問答しているうちに、

ある意味これは魂の欲求というか、

自然の法則からすると、素直な結果なのかも

しれないという答えがでてきました。

 

過去の栄光にすがりついたままで

いつまでも前進できないという「幸せ求め病」ではなくて、

 

そうではなくもっとポジティブな意味で

「人はいつまでも幸せに離れない、

だから目の前の幸せや手に入りそうな幸せを

追い求めて走り続ける」という図式が、

実は一番まともで、そして人生の課題を

きちんとクリアできる状態ではないか、ということです。

 

究極の幸せは死後にあるので、幸せを追い求めてあーでもない、こーでもないと悩んだりするのは今しかできないのですね。

 

目の前にぶら下がった人参は、ずっと目の前にぶら下げて、私たちは走り続けなければいけない。そんなオチです。

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「足るを知る」のなかで感じられる幸せの形はひとそれぞれです。

 

自分はどういうときにそういった幸せを感じるのか、小さいものをたくさん数えてみましょう(^-^)

 

そして、目の前にぶら下がる人参はどんな人参なのか。それは人に決めてもらうものでも与えられるものでもなく、自らが選んでいくものです。

 

自分の鼻が良く見えないように、目の前の人参もあんまり良く見えてないから「何を追い求めて幸せになろうとしているのか」がわからなくなりがちです。

 

そこを知って「私のにんじんってどんなにんじん?」と今一度自問自答してみると、ネガティヴに幸せを求めて悶々とした状態が続いているときにはきっとすっきりするとおもいます。

 

本日もお読みいただきありがとうありがとうありがとう(*^o^*)ございますっ(*^o^*)